実家で母親の介護を続けた相続人が大激怒した理由とは
三姉妹のご家庭で、長女が実家で母親の介護を数年間にわたり、献身的に尽くしてきたという事例です。
母親の生前は、次女や三女も長女に対して介護を一手に引き受けてくれたことに対する感謝の気持ちはあったようなのですが、相続が発生して事態が一変します。
母親に多額の預金があることが発覚
母親の死亡によって相続が発生し、遺品整理をしていたところ、約3,000万円の預金口座が見つかったのです。
法定相続分で分けたとすると、長女、次女、三女それぞれ1,000万円ずつ相続するわけですが、長女としてはこれまで介護に尽くしてきて自分の人生を棒に振った分、通常よりも多めの取り分があって当然だと思っていました。
ところが、次女と三女から思わぬ指摘を受けて激怒することになるのです。
長女がお金の使い込みを指摘されて大激怒
母親の持っていた通帳を記帳したところ、母親の口座から何度もお金が引き出されている履歴があり、それを見た次女と三女が長女に「お姉ちゃんは生前にお母さんのお金を使っていたんだから、その分は相続分から減らしてほしい」と主張したのです。
ただ、長女からすると単に母親との生活費や母親自身の医療費の支払いなどで現金を引き出していただけなのに、相続分を減らされるなんて冗談じゃありませんよね。
これに長女は大激怒し、遺産分割は一気に紛争化したのです。
この紛争は、結局のところ長女が妥協して法定相続分通りの遺産分割で決着したのですが、相続開始前に比べると姉妹関係は完全に悪化してしまい、口もきかないような状況になってしまったそうです。
親の介護問題に潜む2つの問題とは
今回ご紹介した事例のように、親の介護をしていた相続人とそれ以外の相続人と、遺産分割において真っ向から争うケースが多々あるのですが、法的に分析していくと、この問題には大きく分けて2つの問題点があります。
親の介護は「寄与分」として認められるのか
民法では、被相続人に対して特別な寄与があったと認められる相続人については、法定相続分にプラスして寄与分を認めています。
例えば、被相続人の経営していたお店で数年間にわたり、無休で働いて尽くしたような場合に該当する可能性があるのですが、「介護」が寄与にあたるのかどうかが今回の大きな論点です。
インターネットの相続情報サイトなどで見ると、比較的当たり前に寄与分が認められるように書かれていることが多いのですが、実際のところはそうではありません。
他の相続人が納得してすぐに認めてくれているのであれば別ですが、ほとんどのケースでは「法的にはどうなんだろう」と疑問を持ち、そして寄与分に反対するケースが多いのです。
法的には親の面倒を子供が見るのはある意味当然なので、現実問題として単に介護をしていたというだけでは、なかなか寄与分は認められません。
過去の裁判例でも、よほどの事情がなければ、基本的に「法定相続分」を優先するのが裁判所の傾向なので、寄与分を法的に認めてもらうことはそう簡単ではありません。
親の介護で寄与分が認められるケース
親の介護で寄与分を認めてもらうためには、介護したことによって経済的な利益が生じているかが1つのポイントとなります。
例えば、長女が仕事を辞めて付きっ切りで介護に徹したため、本来支出するはずだった介護施設への入所料を支払わずに済んだ、といった事情が説明できれば、その分を寄与として認めてもらえる可能性があります。
このように、あくまでも気持ちの問題だけではなく、それによって財産の増加につながっていることが重要なのです。
母親名義の口座からの引き出しは「特別受益」か
次女や三女は長女が母親の口座からお金を引き出したことを理由に相続分の調整を主張してきたわけですが、このように被相続人から特別に利益を受けることを「特別受益」といいます。
特別受益については遺産分割の際に相続財産に持ち戻して計算するため、特別受益がある相続人は、その分、相続財産から取得できる金額が減ることになるのです。
どの程度の贈与が特別受益にあたるのかについては個別に判定されることとなりますが、「生計の資本」としての贈与については原則、特別受益の可能性があります。例えば、家の購入資金の援助など、それなりに高額なものです。
今回の事例のように、単に生活費を引き出していただけであれば、親子間にはもともと扶養義務があるので、通常の生活費の範囲ということで、特別受益とはならない可能性が高いでしょう。
まとめ
寄与分や特別受益については、多くの相続サイトで仕組みについて解説されていますが、実際の相続の現場では、よほど相続人同士の仲がよくて任意で認めている場合を除くと、ほとんど認められていないことがほとんどです。
遺産分割で寄与分や特別受益を相続人が主張し始めると、ほぼ確実に遺産分割協議が泥沼化します。遺産分割を長引かせたくなければ、法的にどうかということだけで解決しようと思わず、ある程度は相手の気持ちも汲んで、一定のところで妥協することが何より大切なのです。